40期生活動報告

江戸時代の鎖国とは何か

 「鎖国」と聞いて、みなさんはどのような状態を思い浮かべますか?

 文字通り国を閉鎖していると思うでしょうか?

 実は「鎖国」という言葉は、来日経験のあるドイツ人医師ケンペルが書いた書物『日本誌』の一部を、19世紀初めに蘭学者志筑忠雄が訳した際に使われた言葉です。つまり、「鎖国」体制が完成したとされる江戸時代初期に「鎖国」という言葉は存在せず、江戸幕府も「鎖国」をするとは宣言していないのです。しかし、私たちが日本史を学ぶ上では、「江戸幕府が鎖国体制を成立させた」という文章が何度も登場するのは不思議なことですね。この「鎖国」の例は、教科書などにも載っている一般的な歴史用語が当時使用されていたとは限らないということをよく表しています。(他にも「聖徳太子」「鎌倉幕府」「本能寺の変」などがあげられます。)

 さて、それでは「鎖国」とはどのような状態を指すのでしょうか?

 「鎖国」が完成したといわれるのは1641年のことです。この時点で幕府は貿易を全面的に禁止したのではなく、相手国を中国とオランダに限定しました。相手国を限定して幕府のみが貿易をする体制をつくったのには、2つのねらいがあったと考えられています。

 1点目は、「キリスト教の禁止」です。当時の日本でキリスト教の布教を積極的におこなっていたのが、ポルトガルとスペインでした。両国の人々を南蛮人と呼んだことから、両国との貿易は南蛮貿易ともいわれて盛んにおこなわれました。それによってヨーロッパの進んだ文物がもたらされるようになったのですが、日本にとっては大きな問題があったのです。それがキリスト教の布教です。両国は、相手国にキリスト教信者を増やし、やがては領土をも侵略してしまうやり方で他国を植民地化していました。それを防ぐために幕府はキリスト教の禁止を強化したのに対し、当時の日本国内でもキリスト教徒が中心となって幕府への反乱を起こした島原の乱(1637年)が起こるなどしたため、南蛮貿易は1639年に停止され、その後もキリスト教の禁止が徹底されていきました。当時の禁教下における日本の様子は、最近映画化もされた遠藤周作の小説『沈黙』で印象的に描かれています。

 2点目は、「幕府が貿易の利益を独占するため」です。豊臣秀吉の時代から、海外との貿易は大名や商人に許可されていました。以後、貿易や人々の海外への移動は拡大し、東南アジアでは各地に日本人が移住して「日本町」がつくられるほどになりました。それに伴い、貿易額も大きくなって経済力を高める大名が増えました。そのため、幕府は大名たちの力を押さえ、貿易による莫大な利益を独占するために制限を加えるようになったのです。

 この「鎖国」とよばれる状態は、1854年の日米和親条約締結によって「開国」へと変化していきます。200年以上も続いた「鎖国」状態が解かれ、西欧各国との関係を広げていく日本では江戸幕府が倒され、明治維新とよばれる近代化の嵐が吹き荒れていくことになります。その様子については、授業で一緒に学んでいきましょう。

  

 

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